今日のご様子

Posted on

みなさん、こんにちは。

今日の利用者さんのご様子を簡単にお伝えします。

今日は入浴の日でした。

入浴も一通り終えて、午後の4時頃のみなさんのご様子です。

キヌさん0きぬさん

キヌさん1背中がかゆいと言ってたので孫の手をお貸ししたところ

きぬさん2
この丸いマッサージをする部分が気になってしょうがないようです。

きぬさん「これ取れね~」
 私  「取れないよー」

きぬさん「これ取れね~がら食べられね~」
 私  「あー食べたいんだー!?」

きぬさん「これ食べてもいいんだが?」
 私  「いいよ。でも、硬いよ?」

きぬさん3
食べちゃいました。

きぬさん4
笑っています。

この後ちょうど娘さんが顔を出しに来てくれました。
娘さんに後ろから声をかけられて、きぬさんはびっくりしていました。
短い時間でしたが、談笑されて過ごされていました。

サワさん1サワさん

いつもは座ってやる食器拭きを今日はなぜか立ってやろうとします。

サワさん2あ、僕のコップだ。

サワさん3サワさんありがとう。

サワさんは今日、娘に電話してくれと言われたので、
娘ってどっち?長女?次女?と聞いたら
どっちでもいい。と

なんで?と聞いてみたら、
母親がほんずねぐなってしまったから。と言っていました。
決してほんずねぐしてはいませんよ。サワさん。

この前なんかいきなり、
トイレの方に歩きながら「あーかちゃぐちゃねー」と言われていたので、
どうしたの?と尋ねたら、
「いや、自分に言ったんだ」とのこと。
自分に厳しいサワさんでした。

時代劇視聴

他のみなさんは、時代劇を視聴していました。
みなさん、真剣に観ているので声がかけにくい雰囲気です。

極々普通の平凡な一日でした。


「なぜお年寄りが好きなのか」を考えてみた。3

Posted on

前回は父親方のおじいちゃんのことを書きました。
今回は母親方のおじいちゃんのことを書きたいと思います。

母親の実家は鯵ヶ沢にありました。
年に2回必ず鯵ヶ沢に行っていました。
それ以外でもおじいちゃんとおばあちゃんはちょくちょく青森に遊びに来ていました。

鯵ヶ沢のおじいちゃんは僕と将棋をして遊んでくれました。
父親も僕と将棋をして遊んでくれました。

両方に共通するのは絶対に小学生の僕には負けなかったことです。
一度もです。
もしかしたら、世の中はそう甘くはないんだぞということを教えてくれたのかもしれません。
または勝負の世界ではわざと負けるなどということは卑怯者のすることなんだぞ。
ということを教えてくれたのかもしれません。
いずれにせよ、非常に正直で誠実なコミュニケーションです。

おじいちゃんはよく僕にたばこを買いに行ってきてくれとおつかいを頼んできました。
僕も喜んで走ってタバコ屋に買いに行きました。
お小遣いをくれるから。というよりは単純におじいちゃんに喜んでもらえるから
というのが本当のところです。
走って買いに行って急いで戻ってくるとおじいちゃんが早いなーってびっくりして
ほめてくれました。

おじいちゃんとおばあちゃんは僕とたくさんおしゃべりもしてくれました。
何を話していたのかはもう覚えていません。
野球の話や学校の話なのかなー。
とにかく僕をよく承認してくれていたことだけはよく覚えています。

ここまで書いて、自分がなぜお年寄りが好きなのかがわかりました。
それは言語化しがたいものです。

身体にしみついているんですよね。
または無意識に入ってしまっているんですよね。
おじいちゃんやおばあちゃんたちが自分にしてくれたことが。
3つ子の魂100までで。

あえて言語化するとしたら、
静かで自然だからですかね。
子どもみたいになんでも喜んでくれるし。
一緒にいると承認されて安心するんでしょうね。

ホントはこちらが安心させてあげないといけないのにね。


「なぜお年寄りが好きなのか」を考えてみた。2

Posted on

前回のブログで、私のおばあちゃん好きの理由が少しみえてきました。

今度はおじいちゃんにフォーカスしてみたいと思います。

私の父方の祖父は経営者でした。
ひいおじいちゃんの存在を私は知りません。
神様と呼ばれていたひいおばあちゃんの旦那の存在を私はよく知りません。
生まれた時にはもういなかったからです。
今度神様の弟子に会ったら聞いてみようと思います。
確か農家だったかなー。

おじいちゃんは農機具を販売する会社をしていました。
一時は県外にも進出して300名の従業員がいたそうです。

かなりの成功者ですね。
でも晩年は没落します。
私が生まれ育った借家も競売で取られてしまいました。

私の子供の頃(小学校低学年の頃)おじいちゃんは五所川原に住んでいました。
おじいちゃんの会社を継いだ私の叔父と一緒に住んでいました。

ちょくちょく五所川原には行っていました。
なんでだかはよくわかりませんが。
よく行っていました。
同じ年のいとこと遊ぶのが楽しかったからかもしれません。
よく泊まりで遊びに行ってましたね。

おじいちゃんはよく外食に連れて行ってくれました。
オムライスがおいしいお店があって、よくそこに行ってましたね。
あと焼肉屋かな。

お年玉はくれてもお小遣いはあまりくれませんでした。
外食にはよく連れて行ってくれました。

僕にとっては、
おじいちゃん=おいしいオムライスを食べさせてくれる人
でした。

毎年、年越しを父親の実家でやっていたのですが、
そこには鈴木家全員がそろいます。
総勢20人以上になります。
おじいちゃんとおばあちゃんが僕たち孫にお年玉をふるまいます。
おせちを食べながらレコード大賞をみて紅白をみて
年越しをするのです。

いつも夜8時には寝せられていた私もこの時だけは夜中まで起きていられました。
そしていとこたちと遊ぶのでした。

おじいちゃんとおばあちゃんはある程度の時間になると眠くなるのか、
途中で席を外します。
そうすると場の空気が変わります。
おじいちゃんとおばあちゃんがいる間はまだ場の空気がいくらか緊張しているのです。
しかし、彼らがいなくなると、、、

急に伯父と叔父さん達がリラックスしだし、酔っ払いだすのです。
時には喧嘩もしたりします。兄弟喧嘩です。
私の父親は酒を飲まないので喧嘩はしませんが、弟たちが酔って喧嘩をしだすのです。

あーおじいちゃんがいなくなったからこの人たちは喧嘩しちゃうんだろうなーと
子ども心に思っていました。

今思えば彼らは、父親が一財産築いたおかげで今の自分らがあるということをよく認識していた
のだろうと思います。

そういう意味ではおじいちゃんこそ、鈴木家の本当の神だったのです。

僕にとっては、おいしいオムライスを食べさせてくれるおじいちゃんでしかありませんでしたが。。。

続く。


「なぜお年寄りが好きなのか」を考えてみた。1

Posted on

みなさん、こんにちは。
髪の毛だけが年を取っている鈴木です。

今日は「私はなんの因果でこの仕事をしているのか?」を考えてみました。

というか、このブログを書きながら考えてみることにします。

私は、生まれた時から5歳になる直前まで借家の一階部分に住んでいました。
2階には他人が住んでいました。1階と2階の玄関は別々です。
それはおじいちゃんの所有していた賃貸物件で私たちが住んでいたところは2DKでした。

その借家の一番奥の部屋は寝室だったのですが、そこの窓を開けると裏庭がありました。
その裏庭は土地続きで父親の実家につながっています。
子どもと犬父親の実家では犬を飼っていました。

父親の実家には当時、おじいちゃんとおばあちゃんはもう住んでいませんでした。
その代わりに父親の兄の一家と私のひいおばあちゃんが住んでいました。

私のひいおばあちゃんはある宗教法人のトップをしていました。
ひいおばあちゃんは、その信者の人たちから神様と呼ばれていました。
わたしたちもひいおばあちゃんのことを神様と呼んでいました。
その神様には住み込みの女性の弟子がいました。
この弟子は家政婦的な役割も果たしていて私の父親兄弟たちは彼女に育てられています。

彼女は当時はまだ50歳の手前でしたが、4歳の私からしてみたらおばあちゃんと同じくらいの年でした。
彼女は私たちの面倒も良く見てくれました。
とてもかわいがってくれました。
血はつながっていない赤の他人ですが、まるで本当のおばあちゃんの様でした。

彼女はまだ生きています。
現在85歳です。最近は忙しくてしばらく会っていませんが、
あいかわらず元気で、今もその宗教法人の代表を務めていると母親から聞いています。
彼女は神様を継いだわけです。

実の私のおばあちゃんは認知症でデイサービスに通っていることを考えると、
すごいことだと思います。

私の中で残っている記憶では、神様はほぼ寝たきりでした。
いつ会いに行ってもベッドの中にいます。
上半身だけ35度くらい起こしていました。
口は普通にしゃべれるものですから、いくらか会話もしました。

会うと必ずお小遣いをくれました。
いつ会っても必ずお小遣いをくれました。
4歳の私にとっては、
神様に会いに行く=お金をもらえる
の公式が出来上がっていました。

神様はよく千円札と一万円札を間違えました。
それは時には5千円札でした。
僕は子供心に神様でも間違うことってあるんだなぁと思っていました。

私の母親はあわてて一万円札を神様に返して千円札に変えてもらっていました。
一度だけ5千円札をもらったことがあると記憶しています。
お母さんもお金が欲しかったのかもしれませんね。

当時の私にとっては唯一身近にいた老人はこの神様と呼ばれるひいおばあちゃんでした。
何も害のない、ちょっとおしゃべりしただけでお金をくれる都合のいい人です。

私は神様が嫌いではありませんでした。むしろ好きでした。
ただあまり共通の話題がないし、いつ行っても私のことを忘れているので、
頭が弱い人だと思っていました。
今思えば認知症だったのでしょうね。

私は神様に別に会いたいとは思っていませんでした。
会ってもつまらないからです。
4歳の僕は他の遊びで忙しいのです。
でも、母親や神様の弟子が、神様に会いに行け、神様に会いに行けとうるさいので
しょうがなく会いに行っていました。

4歳の僕にしてみたらお金をもらってもうれしくないのです。
僕が欲しいのはお金ではなくおもちゃなのです。

神様は私が10歳の時、97歳で亡くなりました。
私の中で神様が死んだ瞬間です。
神様でも死ぬんだなぁーと思ったものです。
そして、あの人が神様なら世の中に神様なんていないなと思った瞬間でもありました。

神様が死んでからは前出のその弟子が私にお小遣いをくれるようになりました。
その方は私からしてみたらおばあちゃんの様な存在です。

おばあちゃん=お小遣いをくれる人

この公式が出来上がった瞬間です。

実のおばあちゃんとは半年に1度しか会っていなかったのですが、
そのおばあちゃんも会うと必ずお小遣いをくれました。

僕がやっていたことと言えばただニコニコしていただけです。
4歳の僕にとっては金を稼ぐのはたやすいことでした。
そして、その金を持って近所のおもちゃ屋さんに行きました。
おばあちゃんやおばあちゃんの様な人と一緒にです。

なんだか今も似たようなことをしているなー。

続く。。。


「リリーのすべて」を観てきました。

Posted on

みなさん、こんにちは。
ゲイにはもてない鈴木です。

今日はずっと観よう観ようと思っていてなかなか観れていなかった映画を
やっと観てきました。

この映画は青森松竹アムゼで明日で終了なのです。

リリーのすべて。

リリーのすべて

主人公は世界で初めて性転換手術を受けたデンマークの男性画家
舞台は1926年のデンマークの首都コペンハーゲン。

主人公の男性は同じく画家の妻に頼まれて女性モデルの代役を務めます。
それををきっかけに、主人公は自分の内側に潜む女性の存在を意識しだします。

それ以来「リリー」という名の女性として過ごす時間が増えていく主人公は、
心と身体が一致しない現実に葛藤していきます。

一時期は病院に行かせられて、精神分裂病だと診断され、
危うく強制入院させられそうにもなります。

妻も当初はそんな夫の様子に戸惑うが、次第に夫に対する理解を深めていきます。

※ここから先は多少ネタバレになるかもしれないので、
 この映画を観ようと思っている人は読まないでください。

一言でいうと、世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語です。

いや~なんていうかな~
僕は思いっきり男なので、まったく主人公に共感はできないし、
むしろ主人公の妻に共感してしまいましたね~。

ビビりますよね。
もし嫁が実は自分が男だということに目覚めて性転換手術するなどと言い出したら。
もう子供も産めない体になるわけですし。
一家に男親が二人いても子供も困惑するだろうし。

幸い主人公夫婦にはまだ子供がいなくてペットの犬と3人で暮らしているわけですがね。

主人公の妻は困惑しながらも、しっかりと旦那に寄り添い遂げます。
まさにケアです。

この妻は本当は子供が欲しいんですよ。
ぼくだったらとっとと離婚してるでしょうね。

でもどっちが子供をとるかでもめるでしょうね。
でも裁判したら絶対俺が勝ちますよね。

だって母親が父親になっちゃうわけですよ?
姿は男だけど家事はできるって?
いや、家事ぐらいなら僕でもできますよ。
介護職ですもの。

なんだかいたたまれない映画でした。
決してお勧めはできません。

しかし、ね、見方によってはこれってすごい映画なんですよね。
だってまだ性転換手術ってものがまだない時代の話なんですよ?
ちょうど90年前の。
主人公はわざわざデンマークからドイツにまで行ってその手術を受けるって
決めるんですよ?
医者にもし手術が失敗したら死ぬかもしれないって言われてるんですよ?
この医者もすごいですよね。
世界初の性転換手術を試みた男ですよ?

いやーチャレンジャーですよねー。
僕ならビビりますね。
絶対やらない。

だって患者を殺しちゃうかもしれないんですよ?
無理です。
絶対無理。

でもね。
この主人公はそれを覚悟で手術を受けるって決めるんです。
これもすごいことですよね。
命を懸けてまで成し遂げたいことがある。

主人公は途中でこんなことまで言い出します。
「僕は画家になりたいわけではない。女になりたいんだ」

おー!
このセリフ。
ぐっときますねー。

これを言葉にするとなんていうんでしょうねー。
欲ですかねー?
いや、そんな簡単なものじゃないな。

業だね。
業。

宿命だね、
宿命。

僕が今やってる仕事も宿命かなー。
なんだかなー。

これってなんなんだろうなー。
ま、生まれついた環境でつくられたものだからしょうがないよな。

それを認めて肯定するしかない。
そこからしか本当の人生は始まらない。

※追記※

途中、まぎらわしい表現や勘違いされるような表現があったかもしれませんので念のため。
僕はLGBTに偏見は持っていません。むしろちょっとうらやましいぐらいに思っています。
身内にもゲイはいますし。

芸能界やアーティストの方たちでそうゆうことをカミングアウトされている方も多いですし、
そうゆう方たちのセンスの良さや創造性、先進性をリスペクトしています。

去年の電通の調査ではLGBTの人口は7.6%。13人に1です。
この流れは止まらないでしょう。ますます増えていくはずです。

ということで、我が社はLGBTの方、大歓迎です。
我が社は約50人いるのでその7.6%だとしたら3,4人はいる計算になりますよね。
御遠慮なくカミングアウトしてください。(今さら無理か)


「友だちのうちはどこ?」

Posted on

みなさん、こんにちは。
休みなのに勉強と仕事で忙しいワーカホリックの鈴木です。

といっても今日は久しぶりの休みです。
仕事の合間に映画を観ました。
DVDですが。

観た映画は「友だちのうちはどこ?」
1987年のイラン映画です。
イラン北部の村が舞台です。

知る人ぞ知る、あのキアロスタミ監督を世界に知らしめた出世作です。

友達のうちはどこ?友だちのうちはどこ?

ストーリーは単純で、
友達の宿題のノートを間違って家に持って帰ってきてしまった主人公が、
友だちの家にノートを返しに行くという物語です。
友だちはそのノートに宿題をやっていかないと退学になってしまうのです。

主人公の少年は友達の家がわかりません。
いろいろな困難を乗り越えながら夜遅くまで友達の家を探します。
はたして無事にノートを友達に届けられるのか?的な話です。

ストーリーは単純ですが、内容はとても奥深い。
テーマは「童心」と「ドア」です。

心が洗われます。
私にも3歳の娘がいますが、主人公の少年は8歳。
あーあと5年でこの子のような大きさになるのかー。
大人は子供の邪魔をしないようにしないとなーと思わされます。

しつけや教育と称して子供を支配するような大人にだけはなりたくないですね。

この映画には少年と対比する形で老人も何人か登場します。
その中の老人のひとりは少年と一緒に友だちの家を探すのを手伝ってくれます。

寄り添って歩いてくれるのですが、後に足手まといになります。
ちょっとボケているのです。
でもこの映画では決してお年寄りを悪者としては描きません。

牛や馬やヤギなどの動物も登場するのですが、とても自然です。
子供たちもたくさん登場しますが、もちろん自然。

悪く描かれているのは成人した現役の大人ばかり。
そう我々のことです。

大人は自分たちのことだけでせいいっぱいです。
悪気はないんです。悪気は。
でも余裕がない。

余裕がないといろんなことが見えないんですね。
ところが子供と老人は余裕がある。
時間的な余裕がある。
だから大人とは見える景色が違うんですね。

よく言われることですが忙しいとは心を亡くすと書く。
心を亡くしてしまってはケアなど到底できない。
人のケアをする前にまずは自分のケアをしましょう的な話しになってしまう。

私も忙しくならないようにしないとなぁと思いつつ、
ついつい休みでも仕事をしてしまう。

なんなんでしょうね。これは。
別にどうしても今日やらなくてはいけないというほどの仕事でもない。
まぁ好きでやってることだからいいんですけどね。

時刻は夕方の5時半を過ぎました。
残っている仕事はあとひとつだけです。

とっとと片づけて娘と遊ぼう。と思っていたところ
友だちから飲みに誘われてしまいました。

なんとういうことでしょう。。。

人生とはトレードオフである。
私の師匠が言っていました。

トレードオフとは一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・関係のことである。
とWikiにはあります。

優先順位の問題ですね。
優先順位を明確にしなくてはただ忙しいだけの大人になってしまいます。

同じ忙しいでも優先順位を明確にして意図を持った忙しさにしたいものです。