「なぜお年寄りが好きなのか」を考えてみた。1

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みなさん、こんにちは。
髪の毛だけが年を取っている鈴木です。

今日は「私はなんの因果でこの仕事をしているのか?」を考えてみました。

というか、このブログを書きながら考えてみることにします。

私は、生まれた時から5歳になる直前まで借家の一階部分に住んでいました。
2階には他人が住んでいました。1階と2階の玄関は別々です。
それはおじいちゃんの所有していた賃貸物件で私たちが住んでいたところは2DKでした。

その借家の一番奥の部屋は寝室だったのですが、そこの窓を開けると裏庭がありました。
その裏庭は土地続きで父親の実家につながっています。
子どもと犬父親の実家では犬を飼っていました。

父親の実家には当時、おじいちゃんとおばあちゃんはもう住んでいませんでした。
その代わりに父親の兄の一家と私のひいおばあちゃんが住んでいました。

私のひいおばあちゃんはある宗教法人のトップをしていました。
ひいおばあちゃんは、その信者の人たちから神様と呼ばれていました。
わたしたちもひいおばあちゃんのことを神様と呼んでいました。
その神様には住み込みの女性の弟子がいました。
この弟子は家政婦的な役割も果たしていて私の父親兄弟たちは彼女に育てられています。

彼女は当時はまだ50歳の手前でしたが、4歳の私からしてみたらおばあちゃんと同じくらいの年でした。
彼女は私たちの面倒も良く見てくれました。
とてもかわいがってくれました。
血はつながっていない赤の他人ですが、まるで本当のおばあちゃんの様でした。

彼女はまだ生きています。
現在85歳です。最近は忙しくてしばらく会っていませんが、
あいかわらず元気で、今もその宗教法人の代表を務めていると母親から聞いています。
彼女は神様を継いだわけです。

実の私のおばあちゃんは認知症でデイサービスに通っていることを考えると、
すごいことだと思います。

私の中で残っている記憶では、神様はほぼ寝たきりでした。
いつ会いに行ってもベッドの中にいます。
上半身だけ35度くらい起こしていました。
口は普通にしゃべれるものですから、いくらか会話もしました。

会うと必ずお小遣いをくれました。
いつ会っても必ずお小遣いをくれました。
4歳の私にとっては、
神様に会いに行く=お金をもらえる
の公式が出来上がっていました。

神様はよく千円札と一万円札を間違えました。
それは時には5千円札でした。
僕は子供心に神様でも間違うことってあるんだなぁと思っていました。

私の母親はあわてて一万円札を神様に返して千円札に変えてもらっていました。
一度だけ5千円札をもらったことがあると記憶しています。
お母さんもお金が欲しかったのかもしれませんね。

当時の私にとっては唯一身近にいた老人はこの神様と呼ばれるひいおばあちゃんでした。
何も害のない、ちょっとおしゃべりしただけでお金をくれる都合のいい人です。

私は神様が嫌いではありませんでした。むしろ好きでした。
ただあまり共通の話題がないし、いつ行っても私のことを忘れているので、
頭が弱い人だと思っていました。
今思えば認知症だったのでしょうね。

私は神様に別に会いたいとは思っていませんでした。
会ってもつまらないからです。
4歳の僕は他の遊びで忙しいのです。
でも、母親や神様の弟子が、神様に会いに行け、神様に会いに行けとうるさいので
しょうがなく会いに行っていました。

4歳の僕にしてみたらお金をもらってもうれしくないのです。
僕が欲しいのはお金ではなくおもちゃなのです。

神様は私が10歳の時、97歳で亡くなりました。
私の中で神様が死んだ瞬間です。
神様でも死ぬんだなぁーと思ったものです。
そして、あの人が神様なら世の中に神様なんていないなと思った瞬間でもありました。

神様が死んでからは前出のその弟子が私にお小遣いをくれるようになりました。
その方は私からしてみたらおばあちゃんの様な存在です。

おばあちゃん=お小遣いをくれる人

この公式が出来上がった瞬間です。

実のおばあちゃんとは半年に1度しか会っていなかったのですが、
そのおばあちゃんも会うと必ずお小遣いをくれました。

僕がやっていたことと言えばただニコニコしていただけです。
4歳の僕にとっては金を稼ぐのはたやすいことでした。
そして、その金を持って近所のおもちゃ屋さんに行きました。
おばあちゃんやおばあちゃんの様な人と一緒にです。

なんだか今も似たようなことをしているなー。

続く。。。


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